弁護の精神

弁護の精神私は,かつて検察官として,犯罪を摘発し,犯人を訴追し,処罰する公訴官を務めておりました。巨悪を眠らせない。被害者とともに泣く。真面目に汗を流して働いている人々が馬鹿を見るような社会にしてはならない。当時,検事であった私を衝き動かしていたものは,そのような言葉に表される「正義感」そのものでした。捜査における取調べでは,厳しく被疑者を追及し,また,公判廷においては,激しく弁護側を攻撃し,真実を追及しておりました。そのような者が,当時とは全く逆の立場,即ち,刑事弁護士となることに対し,何故,違和感を抱かないのか。刑事弁護士となって,検事の席から弁護士の席に移ったばかりの頃,誰もが私に発する質問でした。

今,刑事弁護士として,被疑者や被告人となった方々の防御に務めています。時には,行き過ぎた取調べ手法には異議を申し立て,身柄の早期釈放を求め,公判廷では,古巣のかつての仲間である検事を攻撃することもあります。しかし,その攻撃は,真実発見のための攻撃であり,あるいは,人身の自由保護のための防御であって,「検事憎し」の攻撃でもなく,「反国家権力闘争の手段」としての攻撃でもありません。刑事法廷では,その役割は異なっているものの,検事も,刑事弁護士も,そして裁判官も,皆等しく神聖かつ崇高なる「法」に対して同一の責任を負う者であると私は思います。かつて,大正・昭和の大刑事弁護士であった花井卓蔵博士は,「実に裁判の公正は国家を飾る美麗なる衣装であり,判事,検事,弁護人が共通の糸をもって,美麗なる裁判の衣装を縫わねばならぬ。検事は攻撃の糸をもって,刑事弁護人は防御の糸をもって,裁判官は公平と仁恵の糸をもって,真実の寸尺を発見し,而して美麗なる裁判の衣装を裁縫すべき任務を負う。誠に重い任務であります。美麗なる裁判の衣装は同時に美麗なる国家の衣装でもあります。」という言葉を残しました。

私は,検事の席から刑事弁護人の席に移った今でも,神聖で崇高なる「法」に従う忠実なるしもべとして,その共通の糸をもって,冤罪を明らかにして無罪判決を裁判官より賜り,人情・仁徳に訴えて温情判決を頂くよう努め,「弁護の精神」を織り込んだ美麗なる衣装を裁縫するよう努めております。もし,検事から刑事弁護士に転向した私が,その職務遂行に「違和感」を抱くとすれば,そのような努力を怠り,共通の糸を裁断してしまったときであろう,とそのように私は思うのです。

刑事弁護士 中村勉