痴漢に限らず、冤罪は今も昔も存在します。中世、封建時代に、例えば魔女狩り裁判など冤罪の悲劇があって、その克服のために司法制度は発展してきたはずですが、それでも冤罪はなくなりません。
特に、痴漢事件は、その証拠が被害者の証言のみの場合もあるところ、被害者の思い込みや、痴漢被害そのものは事実だとしても被害者が犯人を取り違えるということもあり得ます。
もちろん疑いをかけられないことが一番なのですが、冤罪を避けることができないとすれば、その悪影響を最小限にしなければなりません。
満員電車内で近くの女性に「触ったでしょ」、「やめてください」などと突然言われて駅で降ろされたとき、「逮捕」「実名報道」「家庭崩壊」といった危機が現実のものとなります。その場合、いち早く弁護士に連絡することが大切です。
当事務所の弁護士としては、その場から「逃げる」ことはお勧めしません。むしろ大きなリスクを抱え込むことがあるからです。では、どうすればよいのでしょう。
今回は、痴漢を疑われた場合に、いかに悪影響を小さくするかについて代表弁護士・中村勉が解説いたします。
痴漢冤罪にもかかわらず駅事務室に連れて行かれたら
その場合、駅員は、一般に、被害者に被害申告の意思があれば、管轄警察署に通報し、臨場した警察官に身柄を引き渡します。
警察署への同行が任意の場合もありますが、被害者や目撃者に腕などを捕まえられて電車を降ろされたような場合ですと、その時点で既に私人による現行犯逮捕が成立しているとして、強制的な同行となることもあります。
では、そうなる前に逃げるのがよいのでしょうか。しかし、その場から逃げることは、次のようなリスクを伴います。
捕まった場合のリスク
有罪推定の警察・司法システムの下での痴漢検挙
痴漢被害者の屈辱感や無力感は、その被害に遭った方でないと理解できないほど強く深刻です。人間の尊厳や人格の主体性を否定され、単なる性的好奇心の対象とされたのです。痴漢が憎むべき卑劣な犯罪であることは論をまちません。
一方で、無実の人がそのような卑劣な犯罪の犯人に間違われることも、耐え難いことに違いありません。
逮捕・勾留・起訴されたとしても裁判で有罪判決が確定するまでは、法的には推定無罪の理念が働くはずですが、現実には不完全です。いくら駅員や警察官に「痴漢はしていません」と言っても、被害者の供述等がある以上、逮捕され、さらに10日間の勾留もされることが多いと言わざるを得ません。
「痴漢に間違われたら全力で逃げろ」と勧める弁護士がいますが、それも、現在の司法が事実上むしろ「推定有罪」で動いているとさえ言え、無罪判決獲得には事実上相当な困難が伴うという現実があるからだと思われます。痴漢犯罪では、その性質上、被害者の供述以外の客観証拠や目撃者など第三者の証人がいない場合が多く、被害者の供述が信用できるとされればそれだけで逮捕・勾留・起訴され、有罪とされ得るという実態があるのです。
こうした「冤罪リスク」を否定することはできず、上記のようなアドバイスをする弁護士からすれば、そんなリスクを抱えるくらいなら全力で逃げ通して刑事司法手続に乗らない方が良いとのリスク判断があるのかもしれません。
その場から逃げ出せたとしても付きまとう不安
たとえ冤罪であっても、被害申告自体は存在しています。また、最近では交通系ICカード、防犯カメラ等により、逃げ出した者が誰なのか特定されるかもしれません。
現場から逃げとおせたとしても、「明日の朝、警察が自宅に自分を逮捕しにやってくるのではないか」、「職場等にも手が回っているのではないか」、「被害申告した人にばったり遭遇するかもしれない」などといった不安を拭えず、自分の無実を証明する機会は永久に失われたのではないかと思う気持ちが生じるかもしれません。
私たち中村国際刑事法律事務所の弁護士として、逃げることで高まる4つのリスクがあることもお伝えしたいと思います。
痴漢冤罪で現場から逃げる4つのリスク
1. 逮捕・勾留されるリスク
一般に、逮捕・勾留は、犯罪を行ったと疑うに足りる相当な理由と、身柄拘束の必要性が要件となります。「身柄拘束の必要性」は、犯罪の軽重・態様、被疑者の境遇等のほか、住居不定、罪証隠滅のおそれ、逃亡のおそれなど諸般の事情から総合的に判断されます(後者の3要件は、刑事訴訟法第60条1項に明記されています)。被害者に口止めをするなどの罪証隠滅行為を防止するには被害者と接触できないようにしなければなりませんし、捜査を継続しその目的を達成するには、被疑者に逃走されては不都合です。一般的にこうした事情がある場合、被疑者が逮捕され、更に勾留までされるのです。
諸般の事情から本来なら逮捕されず、逮捕されても勾留されないで済むケースであったにもかかわらず、痴漢を疑われ逃走したために、逃亡のおそれがあるとして勾留されるリスクが生じます。
実務上、痴漢として被害申告がなされ、被疑者がその容疑を否認している場合、逮捕・勾留を避けることはなかなか難しいですが、痴漢容疑否認のままでも事情によっては裁判官が検察官の勾留請求を却下することもあります。ところが、痴漢被疑者が現場で逃走を図っていたとすると、「逃亡のおそれ」ありとされて勾留決定がなされても仕方がないでしょう。このように、逃げ出したが故に逮捕・勾留されるリスクが高まるのです。逮捕で最長72時間、勾留で10日間、勾留延長がなされれば更に最長で10日間、合計最長23日間身柄を拘束されるおそれが生じます。
それは取りも直さず勤務先を解雇されるリスクにつながります。勾留により10日以上も欠勤を余儀なくされた場合、その理由をうまく勤務先に説明できないでしょう。何といっても携帯電話で会話等をすることもできず、重要書類も鞄の内に入ったまま保管されるのです。もちろん、逃げさえしなれば逮捕・勾留されないというわけではありませんが、近年、裁判官が勾留請求を却下する事例も増えています。
痴漢事件に強い中村国際刑事法律事務所では、元検事の弁護士2名をはじめ実績豊富な弁護士が在籍しており、依頼者が痴漢冤罪主張を維持した事例でも、勾留請求を却下させた実績があります。
2. 保釈請求が却下されるリスク
次に、起訴の場面にあっても同様、保釈されにくいというリスクがあります。
逮捕・勾留された被疑者であっても、起訴後は保釈の制度があるので、保釈により釈放されることが期待できます。捜査の過程で痴漢容疑を否認し、無罪主張を貫き通したとしても、被害者の供述が迫真的で信用できるなどとして検察官が起訴に踏み切る可能性は現実としてあると言わざるを得ませんが、それでも保釈が認められるケースは多くあります。
それなのに、痴漢で検挙された当初、逃走を図っていたとしたら、裁判官が保釈の可否を判断する上で不利な事情となり得ます。確かに、保釈除外事由(刑事訴訟法第89条)に「逃亡のおそれ」は書かれていません。それは、保釈に際しては、「逃亡のおそれ」を回避する担保として、被告人に保釈保証金を納付させるからです。高い保釈金を納めさせれば、それが没取されるリスクを冒してまで逃亡しないであろうという考えです。
しかしながら、検挙当初に逃亡を図ったという事情は、被害者への接触、偽装工作の機会を確保しようとしたとして罪証隠滅のおそれがあるとか、保釈保証金では逃亡のおそれの回避を担保できないなどして、保釈請求が却下されるリスクが高まります。保釈請求も却下されることになると、より長期の身柄拘束を覚悟しなければなりません。
3. 有罪の情況証拠とされるリスク
裁判において痴漢行為を行ったか否かが争点となる場合、裁判官は、行為時の状況だけではなく、行為前後の状況を総合的に判断して有罪無罪を決定します。行為前の事情としては、被告人が通勤経路とは関係なく電車で各線を行ったり来たりしているなどの不審行動をとっていないか(痴漢のターゲットの物色行為や痴漢常習犯と評価される可能性があります。)などですが、行為後の事情としては、まさに逃走を図っていないかなどが重要になります。
もちろん、痴漢に遭ったと被害を主張する被害者の証言は最も重要な証拠、それも直接証拠になりますが、その証言が信用できるのかどうか、逆に、痴漢をやっていないと主張する被告人の言い分の方が信用できるかどうかの判断には、情況証拠が極めて重要です。検挙当初逃走を図ったとなると、痴漢を疑われている被告人にとっては極めて不利な情況証拠となります。
経験則に従えば、犯人は犯行を行ったが故に捕まりたくないという心情を持つはずで、「逃げた」のはそういう心情を持ったからだろうと思われてしまうのです。やっていないのなら逃げる必要などないではないかと裁判官は考えるのです。
もちろん、冤罪でも逃げたいという心理状態にはなります。「冤罪を証明できないのではないか」、「刑事手続に巻き込まれる面倒を避けたい」、「冤罪であっても家族や勤務先に知られたくない」などの心理状態になることもあるからです。しかし、「やったから逃げた」、つまり、「逃げた」→「実行した」という推認力は、痴漢に限らず、泥棒、傷害、殺人などあらゆる犯罪に共通します。いくら後から公判で弁護士が裁判官に向かって「現在の司法は有罪推定でできあがっていて、逃げないと無実の者も有罪とされてしまうから逃げたのだ」と力説したとしても、「司法」の一翼を担っている裁判官に対しては説得力を持たないでしょう。裁判官は、被告人・弁護人の主張に耳を貸さず、結局逃げたことを有罪の決め手の一つとして、誤った有罪判決を導いてしまうのです。こうして冤罪が生まれます。
4. 新たな犯罪や自傷他害のリスク
逃げるために線路内に立ち入れば、鉄道営業法違反となり得ます。逃げる際に被害者、他の乗客、駅員等に接触して転倒・転落させるなどすれば、暴行罪、傷害罪になり得、下手をすれば死亡させるリスクもあります。逃げるために警察官に暴行を加えれば、公務執行妨害罪になります。線路内に立ち入って電車を止めてしまえば、巨額の民事賠償を請求されるリスクもあります。自らも線路上に転落して、死亡するおそれもあります。他人や自らが傷付き、死亡するなどすれば、取り返しがつきません。
「名刺を渡すなどして静かにその場を立ち去る」という対処法は現実的か
痴漢被害を訴える被害者に捕まり、駅員に駅事務室への同行を駅員に求められても、その要請に従う法的義務はないとして、駅事務室に行かないという選択もあり得、「痴漢冤罪なので理屈では指示に従う義務はない。『私はやっていません』と言い拒否し、名刺を渡すなどして身分を明らかにし(あるいはそれもせずに)、静かにその場を離れるのが良い」とアドバイスする弁護士もいるでしょう。
それは理屈としては正しいとは思いますが、被害者や駅員がそれを簡単に許すとは思えません。結局は押し問答になるなどして無理に逃走する形になってしまうのがおちでしょうし、被害者や駅員からは「逃げた」と見られ、逃走したのと同じことになってしまいかねません。
痴漢冤罪における対処法
このように、現場から逃走することには様々なリスクを伴います。ではどうすれば良いか。年間数十件もの痴漢事件を担当し、またそれを遥かに上回る痴漢事件のご相談を受けている経験から申し上げます。
- 逃げずに駅員や警察官に堂々とやっていないと伝える。
- 自己の言い分を完璧に録取したもの以外の供述調書、上申書等には署名押印をしない。
- 家族に連絡し、警察に対しても身元を明らかにする。
- 謝罪をしない。
- なるべくものに触れず、手指等についての微物・DNA等検査に積極的に応じる。
- いち早く弁護士に連絡し、具体的な状況を伝えて適切な助言を受ける。
逃げずに駅員や警察官にやっていないと伝えること
痴漢と間違えられ、電車から降ろされ、駅事務室に連れていかれたとき、最初にすべきことは、駅員に対し、「私はやっていない」ときちんと伝えることです。後々の裁判に際して、被告人が検挙された当初どのような供述をしていたか(その後一貫して否認しているか)は、有罪無罪を決する情況証拠の一つです。
後々、第三者である駅員に「被告人は最初からやっていないと言っていました」と証言してもらえるよう、毅然として「やっていない」と伝えるべきです。同じ第三者でも赤の他人の乗降客等だと後で連絡が取れなくなったり裁判に協力してくれなかったりするおそれがありますが、相手が駅員ならそういうことは少ないと思われます。相手が警察官ならなおさらです。
家族に連絡して警察署に来てもらう
次に行うべきことは、携帯電話で家族に連絡することです。家族に連絡して警察署に急行してもらうのです。管轄がどこの警察署かは駅員が教えてくれるでしょう。その際、家族には印鑑を持参するように言ってください。駅事務室に連れていかれてから警察官が臨場するまでに多少の時間的余裕がありますので、この時間を利用してください。
これは、主として、家族が被疑者の身柄を引き受けるという「身柄引受書」を警察に提出してもらうためです。そして、その書面には、本人には罪証隠滅・逃亡などさせず、警察・検察の出頭要請には従わせる旨明記する(もちろん、その後本人にそれを厳守させる)のです。
上記のとおり、逮捕・勾留が認められるのは、罪証隠滅のおそれ、逃亡のおそれ、住居不定などの諸事情がある場合です。痴漢を疑われている者は、通常、電車を利用する一時的な乗降客です。どこの誰で、家族がいるのか、勤務先はどこかなど、第三者には何も分かりません。警察官としても、そのような者の身上を確認せずにその場から帰してしまうと、後々捜査に支障を来すと考えるのが普通でしょう。
そうした状況の中、家族が警察署に急行し、身分証明書等から家族であることなどが確認でき、その上、上記のように誓約する「身柄引受書」に署名押印して提出すれば、警察も本人の身元が分かり、逃亡等のおそれは低いと判断して釈放し、在宅捜査とすることがあり得ます。仮に逮捕はされたとしても、勾留請求の段階で釈放されたり、勾留却下となって釈放される可能性も高まります。身柄引受書のひな型は警察署にもあります。
痴漢冤罪事件でも弁護士に連絡し、依頼する必要があるか
駅事務室で警察官が到着するまでの間、弁護士に連絡することも可能です。
家族がすぐに来られない場合など、費用はかかりますが、弁護士に連絡・依頼し、適切な助言を得るのがよいでしょう。
上記のように家族のお陰で釈放されたとしても、捜査が終わったわけではなく、在宅捜査に切り替わったに過ぎません。その後も取調べ等の捜査は続き、起訴されるか不起訴となるかのせめぎ合いは続きます。とりわけ否認事件の場合、いきおい取調べも厳しくなりがちです。そのような厳しい取調べに対する適時・適切な専門的助言は必須ですし、示談による解決が必要な場合も生じ得ます。
在宅捜査にしても、逮捕・勾留された場合と同様、いち早く弁護士を選任することが必要です。
当事務所の弁護士は、連絡があれば適切な対応についての助言をすることができます。事案によっては、ご依頼に基づき、速やかに警察署等に急行し、ご家族と連絡を取るなどして即時釈放を可能とする条件を整える弁護活動を行うことができます。罪証隠滅・逃亡や、被害申告をした方との鉢合わせを防止するためのより具体的な方策等を検討し、身柄引受書等に盛り込むことも可能です。
当事務所で扱った痴漢冤罪事件
事件ファイル1
依頼者が電車で弟と通学中、女性の声がした後に私服警察官から現行犯として検挙されたという事案。
検挙された際、依頼者は両手でつり革を握っていた。また、当時依頼者は肋骨を怪我していたことや実の弟が隣にいて痴漢行為に及ぶとは考え難かった。
これらを弁護人は主張し、結果として嫌疑不十分により不起訴処分に至った。
事件ファイル2
依頼者は電車内にいた女子高校生に対し、スカートの上から痴漢行為をはたらいたとして逮捕されたという事案。
「左手掌及び同手甲で被害者スカートの上から右側臀部付近を撫で触る等した」という被疑事実が被害者供述を支える客観的証拠に欠けており、嫌疑不十分および被害者との示談成立により不起訴処分に至った。
事件ファイル3
依頼者は、朝、電車乗車中に突然女性から「痴漢です」と手を掴まれた。その後近くにいた男性に腕を掴まれて警察に引き渡され、その後痴漢容疑で逮捕されたという事案。
依頼者の腕を掴んだ男性は犯行を目撃していたわけではなく、依頼者の犯人性を認定する証拠は被害者の供述のみであった。また、被害者の思い込みや勘違いの可能性も否定しきれない状況であった。
結果として、嫌疑不十分および示談の成立によって、不起訴処分に至った。
事件ファイル4
走行中の電車内で、依頼者の手の甲が被害者の身体に触れたとして、それを目撃したという男性と口論になり、その後痴漢容疑により逮捕されたという事案。
被疑者である依頼者と目撃者が痴漢行為の有無について口論している際も、被害者は目撃者に賛同するなどしておらず、被害の認識がなかった。依頼者を痴漢容疑の被疑者とする十分な証拠があるとは言えず、嫌疑不十分および示談の成立で不起訴処分に至った。
事件ファイル5
電車内にて、依頼者(被疑者)が被害者のズボンの上から痴漢行為をはたらいたとして、逮捕されたという事案。
一般的に、電車内の痴漢事件において、被害者の思い込み等により被害申告がされて被疑者であると特定された場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではないということから、慎重な判断が求められる。
本件においても、被害者供述を支える客観的証拠を欠いているということで、嫌疑不十分および示談成立によって不起訴処分に至った。
事件ファイル6
依頼者が交際相手と電車からホームに降りる際、女性に痴漢行為をしたとして、その後逮捕されたという事案。
当時犯行がなされたとされる現場では被疑者(依頼者)と被害者だけでなく、各々の交際相手も一緒にいた。弁護人は検察官に各関係者の事情聴取の必要性や、被疑者の精神的ストレス軽減のために捜査の早期進展を求めた。
結果として、嫌疑不十分により不起訴処分に至った。
まとめ
いかがでしたでしょうか。たとえ冤罪でも、対応を間違えると大切な人生を棒に振りかねません。痴漢冤罪の疑いをかけられたら、いち早く弁護士に連絡し、専門的なアドバイスを受ける必要があります。